哀愁の独り言/1998

Doguuが、気の向いた時に、好きな事を、書き綴るコーナー

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1998年12月31日
”大晦日”
現在23:00。あと1時間ほどで、新年へと変ります。TVでは、紅白や行く年来る年が
放映されている頃なのでしょうが(見ていない)、私はコツコツと、独り言を書いてます。
今年1年の事を、色々思い出しているのですが、やはり1番の事件は車が当たった事です。
おかまを掘られた事もそうですが、抽選に当たった事はきっとこれからも忘れないでしょう。
(9月14日よりの独り言参照)
セルラーや、パチンコのルパン等、とりあえずはがきを出してみましたが、流石にそっちは
だめでしたね。(当たり前ですよね、その辺は普通・・・)

1998年12月24日
”クリスマスイブ”
イブといえば、サンタクロースですね。昔は、靴下を置いて楽しみに待ったものですが、サンタが
来なくなってから随分と年月を重ねました。サンタの話は、お話として映画などにもなることが
あるのですが、なかなかに夢の有る話としてまとめるのは難しい様に思います。
自分が、サンタの代理をするのも随分と先の事みたいですから、今年も寂しく過ごしますかね。

1998年12月8日
Canon”BJC F800”その2
水平給紙と、耐水インクの使用で出来ること。プリンタブルCDへのプリント。
ボール紙を使ってCDラベルの印刷実験をしていたのですが、F800はちょっと大変でした。
”BJC700J”では、印字が遅い代わりに紙送り機構に突起部がなくてうまくいっていたのですが、
”F800”では、まるで手裏剣のような形状に変更されている為に、戦車でも通ったような跡を
刻み付けられてしまいます。台紙の厚みと硬度を増すことで、何とか解決出来ていますが、CDラベル
プリンターとしては700の方が使いやすい結果となりました。実売29800円程度である事を
考えると最安値のラベルプリンターと言えます。印刷速度を除けば(やっぱり殺人的遅さ)、文句無し
最高のプリンターと言えるでしょう。(F800にして少し後悔しています)
理屈上は、F600でも可能だと思います。(こっちは試していませんが・・・)
手作りの台紙と、フォトショップ用、又はJPEGテンプレートデータを、もし興味のある方がいましたら
幾らかで、製作販売してみるのも面白いかな?と考えています。この独り言を呼んでいる方も少ないとは
思いますが、何か反響があると嬉しいです。

1998年11月26日
”VISITOR”
WOWWOWで、放映された前編CGによるSF作品を見ました。私は、加入していないので
優しい知人が録画していてくれたものを見たのですが、実に面白かったです。(本当は、別に
期待していなかったのです)。CGといえば、まず最近ではディズニーの”TOY−STORY”を
思い出すのですが、”VISITOR”の映像クオリティーは、”DogaCGAコンテスト”に
応募される近年の作品よりも劣るかも知れません。キャラクター原案が”高田明美”さんなのですが
モデリングされた人物からは、それを想像するのが難しい位です。ですが、デフォルメされた人物達の
表情等は実に上手く表現されていて、各キャラの個性や役割が良く立っている事に感心させられました。
それに、これを作った人達はどうも”アーサー・C・クラーク”や”エヴァ”が好きなようです。
コロニーやシャトルは、まんま2001年ですし、主役もほとんどミサトさん(声も三石琴乃)です。
ストーリーは、未知の物体が地球に接近するというもので、特に捻った所などは無いのですが、
最後まで気持ち良く、そして”オチ”もきっちり付けてくれます。機会があれば是非見てみる事を
お勧め出来る作品でした。

1998年11月20日
”CD-R”
ですが、TEACが新機種の発表をした様です。
CD-R624SKA/SKBで、55の後継ですか。6倍速書き込みの24倍速読み込みの
スペックですが、24Readまで来るとCD−ROMの代わりに充分なります。最も、最速は
50速の様ですが、10000回転以上で(HDDならチーター並)、あのプラスチック円盤を
ぶん回すのは、個人的に嬉しくない(怖いです)です。まぁ、その辺はKENWOODが、
色々面白いのを開発しているようですが・・・。自分では、今のところPanaの7502を
使っているのですが、4速では実はあまり書き込んでいません。自分用のバックアップデータ等には
4速で焼くのですが、人に渡す場合は認識率が下がる可能性を心配して2速までと決めているからです。
音楽CD作成の場合は(カーステ用に作るんですが)、やはり2速までにしています。プチノイズが
入ると嫌だからですが、その辺は、気にしすぎなのかもしれません。

1998年11月17日
Canon”BJC F800”
今まで、CANONのBJC700を、使っていたのですが、新しくFシリーズに変わったので、
早速、使ってみる事にしました。(おもっきりキャノン派なのです)
700では、品質優先でプリントした場合には、殺人的だったスピードが(凄く遅い)今度は
EPSONの750(70ではない)より早いつもりらしい。実際のところ、CANON700に馴れた
私には、革新的スピードアップでした。2から3倍速。EPSON並に、早いかどうかは別。
”ダブルはやい、ダブルきれい”がキャッチなので、後は、綺麗さがどう変わったかですが、
インクタンクまで新型になったのに、”買い替えの必要無し!”な、差でした。今、BJC700の
ユーザーで、粒状化が出ないEPSONに憧れている人は、素直にPM770にするのが正解です。
最高25段階の階調表現が出来るらしいのですが、強めだった原色系が(メリハリが有って良いと
いう人もいます)、やや”柔らかくなった”だけ・・・。それも、余程気合を入れないと解りません。
しかし、ずっとコツコツと試してきた事があるのですが、これだけはEPSONには、
”絶対に出来ない技”が、あります。CD−Rユーザーは、これだけでもCANONにする価値が
あります、絶対。
つづく。(もちょっと、実験してからね)

1998年11月11日
Intel”Pentium2”
最近のCPUとしては、結構長い間ハイエンドとして君臨しています。勿論、名前は同じでも
中身は変わってきてはいるんですが。今は、Geonが上位に在るものの、確実に高クロックへと
対応して、低クロックは、セレロンへと切り替える事でAMD等からもシェアを守っています。
そのCPUが、カートリッジ形状を変えるという噂をききました。未確認ですが、今までのクーラーは
”使えないらしい”です。これは、かなり気になる情報です。0.25プロセスへの変更で発熱量が
下がった実績を踏まえて、0.23(新プロセス)から、熱伝導率が低く放熱面積の小さい安物へと
変更するのではないか?等と私は勝手に考えています。もしそうならば、オーバークロックへのロックさえ
かかっていなければ面白い商品になりそうですね。

1998年10月31日
今、CPUの値段が”どんどん”下がっています。
Pentium2がメインですが、お店にとっては、とても辛い時期ですね。自分が
お客なら凄く喜んでいるでしょうが、人とは勝手なもので立場が変わると全然嬉しくありません。
仕入れより、販売価格の方が安くなる事ほど怖いことはないのですが、今はそれが、
まるで”当たり前”の様に起こってしまいます。で、うちの場合は”ワゴンなところ”へ
行く訳ですね。最近良くワゴンに入っているなぁ、なんて思ったらその時は、いずれもっと
安くなる時と思っても間違い無いかも知れません、”かも”ですよ。(それって、凄く嫌ですけどねぇ)
さて、今度は”ポッキリ”でも考えるかな。

1998年10月25日
”Oh!X”と言う懐かしい本が、発売されています。
今はなき”SHARP”の”MZ”や”X”シリーズの、為の本として元々”Oh!MZ”
として発刊されていたものですが、(創刊から読んでいたんですよねぇ、途中”X”に名変)
休刊から復刊と言う事で、購入して読んでみました。表紙や目次のデザインは正に往年の
”Oh!X”ですが、記事の方は、Doga、満開、を除けば殆ど違う本と言える程でした。
本文中でも、今回の”X”は、SHARPの”Xシリーズ”の”X”ではなく、新しい可能性、
実験としての意味として使うという断りがありました。しかし、MOOKとしての発売で、
価格が2500円(高すぎる)もするのでは、SHARPファン以外の購読層を確保するのは
とても難しいのではないかと思います。この手の本が好きな私でも、”次も買うか?”と
問われると答えに困ってしまいます。X68000というアーキテクチャと共にユーザーが
どこまで”好き”を貫けるかが、活動の鍵でしょうか。68の電源を引っこ抜いたまんまの
私ではありますが、結局、次も本は買う気がします。

1998年10月21日
NEWプリンターが、ちょっと前に発表されましたね。
でも、CANONはまだですね。暫く前から、BJC700の広告が消えているので
きっと新型に代わると思って楽しみにしている(個人的にCANON派)のですが、
まだちっともです。このままでは今年もEPSONの独走になりそうで、あまり
嬉しくないですね。

1998年10月11日
”レイン”というアニメ作品があります。そこに出てくる主人公である少女は
実態を持ちながら人ではない、ネットワーク上のプログラムであると言う設定のようです。
高度に成長したネットワークは、それ自体のエネルーギーを自在に変換することで、現実と
ネットワーク世界の壁を越えたのでしょうか?シーズウェアのゲームで”Luvwave”
と言う物があるのですが、その中にも”MJP”と言うソフトが出てきます。それは、
人としての思考や人格、記憶をデジタル情報として持ち、ネットを通じて人の脳へとアクセスする
事で、その人格を完全に再現する(乗っ取る)ものでした。人格を変えるだけならば、洗脳という
手段もありますが、これらはソフト自体が自我と意志を持ち、自由にネット上に存在出来る事で
根本的に違う存在となります。実際のところ、人は電動だと言われる程、微弱ながら多くの電流が
流れているそうです。思考と言う物は、脳細胞が変化する時の発する電気的信号(電子の動き)の
結果であるとも聞いた事があります(大嘘かも知れません)。もし、事実なら、脳の活動はデジタル化が
可能だと言う事になりますね。クローン細胞の技術と合わせる事で(クローンは記憶を引き継がない)、
不老不死の話も夢物語では無くなるかも知れません。それどころか、何時、自分以外の存在に肉体を
奪われるか解らないかも知れません。これまた、ゲームで恐縮ですが、アイルの”デュアルソウル”では、
魂を他人に移す事で肉体を乗っ取るのですが、こちらは、固体の存在には、肉体も大きく影響している
考えからか移された人格や記憶は、次第に薄まり肉体の持ち主の意識が復元される結末へと結ばれて
います。私は、努力と根性なんてのは、やはりデジタル化出来ない様な気がするので、今の身体に
拘ってしまいますが、皆さんはどう考えるのでしょう?

1998年10月10日
知人がいま、自動車の買い替えで悩んでいます。
もう10年乗っているのが、ローバーミニで、結構がたが出ているらしいです。
次は、新規格とかのK−carにしようと思っている様で、自動車雑誌が出るたびに
買っているみたいですが、何冊買っても内容が同じ・・・。まぁ、新型車なんて基本的に
メーカー発表の情報くらいしか無いでしょうから、同じ記事になるのも仕方ないのかも
しれませんが、買う方は少しでも多くの情報が欲しいのですから、記者さんにももっと
踏ん張って頂きたい所です。パソコン雑誌も、最近は”WIN98”の見出しが
目立ちますが、それなりに内容も違うようで(大体、コツかトラブルですが)まだ、
ましですかね。しかし、広告と記事と、どちらの方が多いか解らない様な本が
随分高い価格なのは、何とかして欲しいといつも思います。

1998年10月4日
ゲーム機ですが、セガのドリームキャスト(NAOMI含)で、ゲーム好きのかたは
盛り上がってますね、最近。WINDOWS CE搭載しているところが今までのゲーム機と
一線を画す所だと思うのですが、今までSEGAには(個人的に)結構悲しい思いをした
事も少なくなかったので、今回も行く末に興味しんしんです。オラタンが出れば、それ専用に
する程度の気持ちで1台購入しようかな、なんて考えてますが、早い所値段位発表して欲しいです。
PCで出れば(オラタンよ)ドリキャス買わずに済むんですが・・・・、まぁ、それは随分先の
事なんでしょうね。>セガさん。

 

ポッキリを、ドーンと(3000&納車)やってみたつもりですが、如何です?皆様。

1998年9月30日
”納車まで −その8−最終”
ふぅ。長かった戦い(?)も、本日ようやく終結致しました。
結局、納車日決定の連絡は、9月29日昼の事で、30日の今日
”真っ赤っかのメルセデスベンツC200−右ハンドル”が
私の物となりました。現物が目の前に来ると、”やはり嬉しい”ものです。
輸送はきちんとキャリアで行われていて、走行は11KMでした。
(この走行距離には驚かされます。凄く少ないですよね。)
それから、色々不備があったということで、菓子織を持って来てました。
担当は、今日は動けないらしく(?)別の方が来てました。
納車の証拠写真を撮り忘れたと言う事で、後日自分で撮影して送ることに
なったのですが、最後まで、すっきりとはいきませんでしたね。
とにかく、2ヶ月と1週間の歳月をかけた騒動は
”これにて、一件落着”です。
(カーステ取り付けや、今の車の事などまだのこっていますが・・・)
おわり。

1998年9月28日
”納車まで −その7−”
前回の連絡から1週間が経ちました。このままでは、非常に心配なので、
お昼ごろに、アイエスオートまで電話を掛けてみました。納車日は、30日に決定するそうです。
相変わらず、(有)サイレンスは忙しいと言っているそうで、今日も担当との最終確認は、
午後10時ごろに行うそうです。忙しくて相手する時間が無いなんて、私は暇人だとでも思って
いるのでしょうかね。(これ書いている時には決まってないから、変更なけりゃ良いんですが)
この30日納車も、書類期限のお陰で、それが無ければ(有)サイレンスが
暇になるまで明確な予定も決めず”ほったらかし”にしとくつもりだったのでしょうか?
もう、随分前(8月19日)の
中村氏:”えー、まだ連絡無いですか?車はありますよ”
中村氏:”はぁ、もう連絡あるはずなんですけど。車庫証明の書類とか用意して待っていて下さい”
と言う発言は、一体どんな気持ちでおっしゃっていたのでしょうか。もう、私には理解出来ません。
あぁ、凄く愚痴になってきた。
いつのまにか、嬉しさが無くなっていますね。(でも、貰うもんは貰う・・・(^^;)
”納車まで −その8−”多分最終回につづく。

1998年9月26日
”納車まで −その6−”
9月も残りあと僅かとなりましたが、相変わらず納車の日程は決まっていません。
22日に、アイエスオートより一度連絡がありました。内容は、
・(有)サイレンスが、みんなで車を送り出したいと言っている。
・しかし、忙しくて日程が決まらない。
・車庫証明の書類有効期限が、10月1日できれる。
・車庫証明が切れるまでに、納車したい。
・切れたら、再度申請してもらわないといけない。
(おいおいおいおい、おい)
もし、10月1日を越えて、車庫証明を取り直せ等という話になったら、
なんて言ってやろうか?ありそうで、真剣に考えてしまう。
はたして、”納車まで −その何−”で、納車されるでしょうか。
”納車まで −その7−”へ、つづく。

1998年9月23日
台風7号が、直撃しました。
24時間が経とうかと言う今でも、停電世帯数がかなりの数になり(信号や踏み切りも
未だ回復していない所がある)、携帯電話も不通の状態が長く続きました。
電話の回線もISDNの為、ルーターの乾電池が無くなると使用不能となり、不通時間が
かなり出来てしまいました。(SOHO−128の電池は4時間しかもたない)
いかに普段電気を使う事が多いのか、電気無しで出来ない事が多いのかを、
痛感させられました。この傷跡は暫く尾を引きそうで、少しの間(かたずけ等で)
忙しくなりそうです。風の仕業というよりも、デビルマンやマジンガーZが
暴れた後の様です。電話と電気を失った時の代償は連絡と情報を完全に断たれる事
ですが、これは生活の基盤が揺らぐほどの出来事であり、災害復旧の体制について
考えてしまいます。
(現在まだ停電中、限られたノートのバッテリーと時々使える様になった携帯電話での
アップロードでした)

1998年9月18日
”納車まで −その5−”
車庫証明が上がってきたので、必要書類を朝から郵送する。
電話のベルが鳴る、青木からだった。
青木:”申し訳ありません、どうにもならないそうです”
(まぁ、そんな返事だろうと思ったよ)
青木:”普通の購入なら多少はなんとか出来たのでしょうが、今回は
プレゼントでうちもサービスみたいなもんですから”
(なんや、なんでおまえにそんな事言われなあかんねん。おまえとこが、
プレゼントする訳じゃ無いやろうに。だいいち、それはそれ、これはこれや)
私:”お話は良く解りました”
(要するに、そーいうお店な訳だと理解する)
青木:”お許し頂けるなら、このまま進めますが宜しいですか?”
私:”はい、お願いします”
(私には、店は決められないと思うのですが、決められるなら、とっくに
店を変えてるのは間違い無い)
青木:”では、あと納車まできっちりやらせて頂きます”
日付が変わって、9月4日。
書類が届いたとの報告があった。問題無いと言うので納車の日の確認を取る。
10日には、車は用意出来るというので14日に決めた。
納車日も決まったと思ったので経費の振込みを行う。
暫くして、また連絡があった。(有)サイレンスへ確認したところ、10日に
ならないと社長が捕まらないので、それまで納車ははっきり言えないと、
青木が言う。あまりの段取りの悪さに呆れるしかない。
(おまえの”きっちりは”その程度なのね)
で、10日にまたまた電話が鳴る。
青木:”サイレンスさんが車の写真を取りたいそうですが、予定が合わないので
納車は20日以降になります”
私:”そうですか、向こうが言うなら仕方ないですね”
(もう入金もした、その後にこれかい。皮肉で言ったつもりだったが)
青木:”はい、今月中にはいけると思うのですが日はまだ解りません。解ったら
連絡します”
(事も無げかいな、段取り悪いんは全部人のせいかい、おまえは)
9月17日には、まだ納車予定が決まっていない。
家族、友人は、詐欺じゃないかと口を揃える。これだけ無意味に日数をかければ
そう思われても文句は言えまい。個人的に、(有)サイレンスは、好きだし会報で
語っている社長も好きである。だから、みんなには”大丈夫だ”とは言っている。
が、正直なところ(有)サイレンスが今回のプレゼントをどう考えているのか
私には良く解らない。最初の当選報告以外、何のコンタクトも無い。
(こっちから、電話かけただけだ)
確かに、車体本体は無料だ、プレゼント品である。が、届けるまできっちり行ってこその
プレゼントではないかと思う。しかも、今回の商品(自動車)は貰って終わり
ではない。小包で届けて後は好きにしてくれと言うならまだ、その方が気持ち良い。
経費の他、こちらは本体の消費税まで払うのだから、いい加減にされては困る。
今乗っている車の手続きだってある訳で、その予定もなかなか決められない。
”納車まで −その6−”へ、多分つづく。

1998年9月17日
”納車まで −その4−”
請求書が届いた、9月2日の出来事である。
重量税75600円・・・・はっはっは。(笑うしかない)
資料を再度確認するが、56700円。付き合いのあるディーラーへ電話をかける。
重量税についての確認を取る。やはり答えは56700円にしかならない。
青木に電話をする。
私:”重量税についてなのですが、確認はして頂けましたか?”
青木:”はい、やはりあれで良いそーですよ”
私:”間違いありませんか?”
青木:”大丈夫です”
私:”こっちでも確認とったのですが、絶対に間違えていませんか?”
青木:”え!?、ちょっと待って下さい・・・”
(席を離れて何処かへ聞きに行った様子)
青木:”いやぁ、間違えてました”(彼は、軽く言った)
切れた。(たぶん、全ての血管が切れた)
(われ、なめとんのか、こら!!!)とは、心の中。
私:”で。”
青木:”すいませんねぇ、間違ってました”(またしても、軽く言った)
私:”・・・・・・・”
青木:”あ、申し訳ありません”(やっと、少し重い口調に変わった)
私:”確認するようにお願いした筈ですが・・・”
青木:”いや、向こうに聞いたら間違い無いって話で・・・”
青木:”コンピューターにお客さんの請求額とか登録されているんですが、それは75600円
になってたんで、入力の時に間違えたようですが・・・”
(全部、ただの言訳だ・・・)
私:”これで、3度目なんですがね”(色々言った気がする)
青木:(何か良く解らない言訳を話していた)
私:”いやぁ、間違えてましたで終わりですか?”
青木:”と、申されますと・・・”
私:”私は余分に払わされるところだったのですよね”
私:”払ったら戻ってきませんよね”
青木:”いえ、そんなことは・・・経理とかで気がついて・・・”
私:”・・・”
青木:”その可能性はあります・・・たぶんそうです”
私:”で、間違えてましたで終わりなんですか?”
青木:”私には謝るしか・・・どうしろといわれるのですか?”
(なんやねんそれ、なんか、知らんが腹が立った、物凄く腹が立った)
私:”おたくさん東京やし、金銭的に融通効かすくらいしかないんと違いますか?”
(我ながら、つまらん事を言ったものだと思う。が、おさまらなかった。)
青木:”どうなるかは解りませんが聞いてみます。明日か明後日に連絡させて
頂きます。
”納車まで −その5−”へ、つづく。

1998年9月16日
”納車まで −その3−”
アイエスオート青木氏から連絡があったのは、8月25日のことです。
カタログと見積もりは直ぐに届きました。支払い額、604200円。むむむ、
540000円から高くなっているではないか。良く見ると、フロアマットがこっち持ちで
のっている、がまぁ、これはそれで良いと思う。引いてみても584550円??
まだべラボーに高い。他府県納車費用52500円、これは何かと尋ねると(当選報告時の
見積もりには無かった)うちは東京あんたは奈良で、車届けて登録せにゃならん、その
経費らしい。これもまぁ良しとする(別に納車費用が42000円かかっているので、
もひとつよー解らんのが本音ですが)。
重量税75600円・・・・・。これは違う。1.3トンなので56700円の筈。
この間に、車庫証明登録用に車体番号と登録用紙を送ると言う事だったが、金曜日にも
届かないので確認するとまだ送ってないとな。納車がどんどん先送りになりそうなので、
電話で車体番号だけ聞いて、とっとと登録する事にする。
で、重量税の指摘をする事にしたのですが、
私:”重量税が高い様に思うのですが”
青木:”いや、間違ってないと思いますよ”
私:”そんな事は無いと思うのですが、これは仮みたいなのでちゃんとした
請求書を送り直して貰えますか?”
青木:”解りました”
9月1日、新しい請求書が届きました。重量税75600円。(変わってないぞ)
早速、連絡する。
私:”請求書届いたんですが、重量税変ってない様ですが?”
青木:”間違い無いそうです。”
私:”え?”
青木:”2年でなく3年なので、高いと思うだけじゃないですか”
私:”では、2年ではいくらですか?”
青木:”37800円です”
私:”3年だと倍ですか?”
青木:”私もちょっと変だとは思うんですが、それで良いそうです”
私:”オプションの追加をお願いしたいので、オプション込みの請求書を
作って頂けますか”
青木:”はい、振込みもお願いします。”
私:”それから、重量税納得できないので、再度きちんと確認して頂けますか?”
青木:”解りました”
”納車まで −その4−”へ、つづくよ。

1998年9月15日
”納車まで −その2−”
で、今後の予定や手続きについての連絡を待つ事にしました。7月27日の事です。
の後ですが、最初の当選報告に、”ご希望の右ハンドル赤(インペリアルレッド)の
車両を仮押さえしてありますので、もし他をご希望の場合はお早めにご一報下さい”
と言う一文と、”インペリアルレッドはカタログには載っていませんが存在します”との
表記も有ったので、程なく連絡があるものだと思っていました。ところが、
お盆に突入しても連絡無し、で、とうとう8月19日になりました。この頃には流石に
内心穏やかではありません。(どう良心的に解釈しても”ほったらかし”としか思えない)
再び、電話する事にしました。前回と同じ声の方が電話に出られました。その方の話では
この番号は”開発室”のものだと言う事でした。と言う事は”プログラマー”さんなのでしょうか
仕事の邪魔をして申し訳ないと今でも思っていますが、
”良くは知らないのですが、車無いという噂を聞きました。秋とかになったりするんじゃないですか?”
とおっしゃいます。早速、確実な話を確認すべく、担当者名と新たな電話番号を教えて頂きました。
担当は、中村氏と言う事で、早速電話しました。
中村氏:”えー、まだ連絡無いですか?車はありますよ”
私:”大丈夫なんですか?”
中村氏:”はぁ、もう連絡あるはずなんですけど。車庫証明の書類とか用意して待っていて下さい”
(中村氏とは、社長でした。声で解っただけですが、はっきり言ってソニアのソフトも
会報で見かける中村氏もかなり好きでしたので、声聞けて嬉しかったですね)
しかし、相も変らず何の連絡も無い状態で、何の書類をどうやって用意しろと言うのでしょうか?
”もう連絡有るはず”と言う言葉を信じて、またまた連絡待ちする事にしました。
そして、登場です。アイエスオート、青木氏。この段階で、最初に入っていた見積りのものと
ディーラーが変っています。”明細は何処に送らせて頂きましょうか?”・・・は??、
今の住所に送ってもらう様にと、一緒にオプションカタログもお願いしますと伝えました。
”納車まで −その3−”へ、つづく。

1998年9月14日
”納車まで −その1−”
(有)サイレンスの”ソニアお祭りキャンペーン”での当選の連絡があったのが
7月の22日。宅急便で、当選商品のお知らせとカタログが届きました。
見積り1枚と、経費の説明、受け渡しの確認事項と、確認書の返送のお願いがありました。
以下が、その確認事項です。
・見積り引く本体及び付属品計(¥3955000)を
        除く¥540000(登録月により変動)は本人負担とする事。
・車庫証明を取得すること
・少なくとも1年間は転売せずに使用する事
・任意保険に加入し安全運転を心がける事
・車両の写真及び”当選者 奈良県 武井様”との広告掲載を了解いただく事
・商品の受け渡し後は自信で責任を持って管理、使用し
       (有)サイレンス、ソニアに対して迷惑のかかる行為は行わない事
はっきり言って、嬉しいなんてもんじゃないぐらい位、嬉しかったですね。
早速、確認書を返送しようとしたのですが、
返送用封筒、返送先、問い合わせ先、担当者についての明記が何もありませんでした。
自動車屋の見積りに電話番号(東京)が載っていたので、そちらに電話してみる事にしました。
が、そちらは空振り・・・。”何も聞いていませんが、(有)サイレンス様とは取り引きが
ありますので連絡しておきます。”と言って下さったので、待ってみましたが、その日は結局
連絡無しでした。仕方がないので、宅急便の伝票の依頼主住所へ宅急便で返送しました。
2日後、確認書到着の連絡がないので、今度は宅急便の伝票の電話番号へ電話して、到着確認を
お願いしたところ”担当は席を外していますが、宅急便ならたぶん着いています”と言う話です。
で、今後の予定や手続きについての連絡を待つ事にしました。7月27日の事です。
”納車まで −その2−”へ、つづく。

1998年9月12日
独り言も、書くのが随分と久しぶりです。
独り言だけでなく、暫くホームページの更新も出来ていなかった事は
自分でも深く反省しております。当たった車もまだ納車されていないのですが、
色々あったので、そのうち”ぽつぽつ”と書こうかと思っています。

1998年8月24日
”IMAC”
国内発売まで、とうとう秒読みとなりました。パーソナルな分野では、唯一と
言って良い”ウインテル”対抗機種ですから、なんとか頑張って欲しいと個人的には
思います。幸い、予約も好調らしく、MAC系の販売店は久しぶりにかなり力が
入っている様子です。G3発表の時は、今一つ盛り上がりに欠けただけに今回が、
MAC普及の最後のチャンスかも知れないですね。”IMAC”の特徴は、
形はもちろんでしょうが、”LAN”、”USB”を標準で装備して”FD”を
無くした事だと思いますが、日本では”LAN”の普及がさほどでも無いのが実状です
から、”FD”に変わるデバイスを何かしらみんな購入する事になるでしょう。その時に
”USB”機器が一番安価で手軽なら一気に普及のきっかけになるかも知れません。
”WINDOWS”も”98”になってようやく”USB”標準と言えるように成ったので
もしかすると、”IMAC”さまさまになるかも。

1998年8月13日
”アイオーデータの配布していたベンチマークソフトが、ウイルスに感染”
と言う情報が流れてから、暫く経ちますが、12日にメーカーよりの発表が
ありました。国内では、ウイルス騒動というのは、あまり起こりませんが、
アメリカなどでは特に珍しい事では無い様です。(大騒ぎは別にして)
その昔、”アートディンク”が発売したゲームソフトが感染していて回収された
事がありましたが、その時は開発者が使用したツールが感染元だったと言う
発表だったと記憶しています。メーカーとしては、頭の痛い問題でしょうが、
(なかなかそっちに、お金も掛けられないのが実状でしょうかね)
問題に成ると、対応策だなんだと各方面から叩かれるのでしょうね。

1998年8月4日
今回は、マイクロソフト社に対しての怒りが込み上げております。
みなさん御存知の様に、先日Win98が発売されました。当店も卸業者より
OEM版を購入していたのですが、今回マイクロソフト社、およびその正規代理店より
流通業者に対してOEM版取り扱い中止の指導が入りました。
”正規マイクロソフトOEM製品販売代理店”以外は例え卸販売であっても行っては
ならないと言うものです。
今までの様に、無印95しか一般販売していない状態では、大目に見てやっていたが
WIN98製品版が発売された以上、高くてもそれを買えという事の様です。
なるほど、もっともらしく聞こえますが、代理店は国内で今8社だそうです。指導通達
された業者も、代理店申請を1年ほど前から行っているそうですが、回答は”代理店追加の
検討はしていない”というものだそうです。検討すらしていない事には、怒り以外の感情は
とても出てきません。で、問題になるのが、当店の様な小さなショップです。
”正規マイクロソフトOEM製品販売代理店”とやらが、どこにでも気軽に
OEM版を卸してくれるのならば、問題は無いのですが、なかなかどうしてその様な
ところではありません。となれば事実上プレインストールするにも高価な製品版以外に方法が
無い事になります。これは小規模ショップでは直接死活問題に成るほどの行為です。
なんとかしなければなりません。

1998年7月29日
この1週間は、大変で色々な事がありました。
まずは自民の総裁選。我々には指を咥えて見ているしかない選挙ですね。
海外にも随分酷い事を言われた選挙だったので、流石に国内の注目度も高くて
ニュースは一時それ一色でしたね。まぁ、一番割り食ったのはマイクロソフトでしょうけど。
ビルゲイツまで乗り込んで来た割には、盛り上がりに欠けたようで、(秋葉原はまぁ元気だった
みたいですが)大阪なんて、ジョーシンまで頑張っていたわりには静かでしたよね。
後、個人的に(こっちが大変)自動車事故がありまして、乗用車3台の玉突きです。
私は先頭で、車の方は未だ入院中です。世の中本当に色々あってちっとも退屈しないんですが、
こんなのは、ちょっと勘弁してもらいたいですね。その次が、懸賞の当選。当選の確認も
きちんと取れたので、ここでちょこっと自慢しますね。
”ソニアお祭りキャンペーン”て奴で、メルセデスベンツ”C200”が当たりました。
奈良県で5ナンバーの真っ赤なベンツを見かけたら私だと思って貰っても良いかも
知れません。(納車はまだですけれどね)現物が届くまでは私も半信半疑、と言いながら
ジャンボ(宝くじ)買いに行ってきました。(^^;)

1998年7月17日
Win98。
とうとう発売まで1週間と迫ってきた。パソコン雑誌は特集記事で溢れかえり
OS予約本数も既にWin95発売当時を超えているらしい。マイクロソフトの
宣伝が本当で、Win98がWin95よりも優しいのであれば、あれ程トラブルに
関する特集が誌上を賑わす事も無いとは思うのだが業界としてはボーナスと
Win98発売で煽ってでも低迷な売り上げを勢いづける必要があるようだ。
こんな事を言うとWin98に乗り換えないみたいに見えるかも知れないが
決してそんな事は無く、直にでもインストールするつもりである。たとえ、優れた
インターフェイスや強固な安定性が幻想であったとしても、今の状態で(Win95)
満足している訳では無いのだから当然といえば当然である。少しでも優しく、
少しでも安定する可能性があるなら今の所、私にはそれ以外の選択肢は無い。

1998年7月6日
ギガバイトのマザー”GA−686BX”。
今更ではあるが結構奇麗に作ってある感じがする。BIOS起動時にCPU電圧や
IDの表示があるので、CPU確認にはとても良い。それにBIOSメニューの中に
つねに各電圧やCPU温度が表示されているのも感心してしまった。ちなみに、
CPU温度は今29度(昇圧2.2V)だった。(流石にちょっとうそ臭い・・・、
それともギガクールのおかげか?)

1998年7月2日
もう7月に成ってしまった。それにしても、やけに熱い、まだまだ暑くなるのかと
思うと考えただけで夏バテになりそうだ。それはともかく、とうとう400記念は
最終日となってしまった。応募数は相変わらずでこれはちょっと絶望的だと思う
今日この頃だったりするが、せっかくだから応募者には、何か特価でも考えようかな
(まだ、何も考えてないよ)てぇな、気持ちは少しあったりする。

1998年6月27日
”せこい企画”を載せてから、5日程経った。別段、苦情や文句は来ていない
んだけれども、反応もほとんど無い・・・・・・。なんでや、もちょっと反応が
あってもバチは当たらんはずや。(今、2人だけ・・・笑えん)
あぁぁぁぁぁぁぁ、このままでは非常にまずい気がする。宣伝のために
修行の旅にでも出よう。

1998年6月22日
商品にキャンセルがでた。うーん、どうしようか悩みまくった挙げ句にとても
”せこい”考えが浮かんでくる。まぁ、商売人やし”せこいんは、しゃーない”
と自分を納得させて、一応ちょっとした企画(?)を用意してみたけれど、
もしかすると、凄くお客さんに不評だったらどうしようか?等と考えたりも
している。これも、プレゼントにでけへん所が悲しいけれど、まぁ、そのうち
結果が出るんでしょう。”今は、これが精一杯”ってことで・・・。
あぁ、本当に怒られたらどうしよう。

1998年6月18日
別に、意味は無いんだけれど、ちょっと、独り言用にページを作る事にした。
Celeron−266が、今元気なので、ちょっと前にデモ機用に1つ作って
オーバークロックにした。BULK”SL2SY”だが、400で動いている様子。
もうちょっと様子を見る事にしよう。悲しかったのは”IO−DATA”。最近あそこは
どーも根性が無い。PM2の時も周波数上げてメモリーが吹っ飛んだ事がある。もちろん
規定外の使い方なのだけれど、やっぱり夢は見たいのよ、貧乏人は。”286”の時代から
(懐かしいなぁ、10メガを12メガにしたり)いや、もっと前、”Z80”を2Mhz
から4Mhzなんてのもあったな、倍速キット。2000年には1Ghzらしいが、
やっぱり、オーバークロックは健在だろうな、きっと。

 


 

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